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関西医科大学医学部 合格|現役時代に勉強せず偏差値40前後からのスタート

私は現役時代、全く勉強をしてきませんでした。勉強という勉強をしたことがなく、センター試験は4割程度しか得点できず、とても医学部志望とは思えない成績でした。 自分で勉強する方法や努力の仕方がわからず、恥を忍んでメルリックス学院に相談したのがきっかけで、メルリックス学院に入学を決めました。

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聖マリアンナ医科大学医学部 合格|ファミリーのような一体感のある予備校

一年目はあまり深く考えずに地元の予備校に通っていましたが、校則が緩かったせいもあり、だらけてしまい、2浪が確定してしまいました。一年目の反省を踏まえて2年目は全寮制で朝から晩まで勉強を強いられる予備校に行ってみましたが、授業に満足できずに寮生活にも馴染めず2年目も結果を出せないまま終わりました。

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金沢医科大学医学部 合格|生徒会と部活動に熱中した高校時代から3年。医学部合格までの軌跡

3浪目で金沢医科大学 AO 入試(当時)に合格した S.T さん。 彼は(北陸ではない)地方の県立高校を卒業して、1浪の時からメルリックス学院に通い、3 年目で縁もゆかりもない金沢医科大学の AO 入試で見事に医学部合格を手にしました。 入学した時は【私立医学部コース】のベーシッククラスだった彼が、どのようにして合格したかその軌跡をおうかがいしました。

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久留米大学医学部 合格|現役受験時にお世話になった先生と二人三脚で念願の第一目標に合格!

西さんは前の年、複数の1次合格を果たしたものの2次合格の壁を越えられず、その悔しい思いからメルリックスで再チャレンジすることを決意した。理科が得意な西さんは英語に不安を抱えており、講師から特別に課題をもらって苦手意識を何とか克服した。

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東海大学医学部 合格|理系であっても必要不可欠な日本語の思考能力、小論文の授業で大切なものを掴んだ

兄が苦労する姿を見ていた弟は、高3になるとまず基礎を学ぶために大手予備校に通うことにした。小論文は個別指導で見てもらったが、兄と同じく考え方や思考力をめきめきと鍛えられた。 メルリックスでは東海大学医学部がその年からAO入試を始めるという情報もいち早くつかんでおり、そこに照準を絞って夏休みが終わる頃にはほぼ小論文を仕上げることができた。

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兵庫医科大学医学部 合格|あえて知り合いのいない東京の渋谷校へ、でも合格を手にした時には仲間に囲まれていた

関西出身の稲垣さんは浪人するにあたって、これまでの知り合いが1人もいない東京のメルリックスを選んだ。親元を離れて自立することで強い意思を持って勉強に臨めるのではないかと思ったし、現役時代に通っていた関西の予備校のチューターがメルリックス出身で色々な話をしてくれたことも決め手になった。

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福岡大学医学部 合格|その日のうちに復習することを何よりも大事に、集中力と緻密な対策で受験に勝利した

2浪目の野中さんは、しっかりと腰をすえて勉強したいと思い、一人ひとりへの丁寧な指導を求めてメルリックスに入学した。クラスの中では誰よりも朝早くメルリックスに来て勉強し、土日の授業がない日でも自習のリズムを保って自己管理に努めていた。毎日のチェックテストは答案が返却されるとその日のうちに復習するなど、復習を何よりも大切にしていた。すべては1浪目の苦い経験から得た教訓だった。

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国際医療福祉大学医学部 合格|徹底的に時間管理にこだわり、教科によっては他の塾と掛け持ちで勉強した

森本さんは現役時代、帰国子女ということもあり英語には自信があったが、理系科目には苦手意識を感じていた。焦る気持ちから睡眠時間を削って勉強したが、慢性的な睡眠不足で勉強内容が頭に入ってこず、良い結果を出すことはできなかった。

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京都府立医科大学医学部 合格 谷口 陽子さん

年齢30代半ばの女性、文系出身で数Ⅲと生物は未履修、子供が一人いて毎日保育園へ送り迎えしてから職場へ向かい仕事。谷口さんは、これ以上ない厳しい状況から京都府立医科大学に合格した。 前年の7月から自分で医学部受験に向け勉強を始めた谷口さんが3月にメルリックスを選んだ大きな理由は、「通勤途中にあり保育園にも近い」であった。

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