金沢医科大学医学部 合格|不安で泣きながら勉強した総合型選抜前の1ヶ月
4浪目のK.Nさんは「今年で最後」と親と約束し、メルリックス学院大阪校に入学しました。金沢医科大学の総合型選抜を受験することにして、先生方に支えられながら本質的な勉強に取り組みます。
目次[非表示]
- 1.メルリックスに入学した理由
- 2.メルリックスでの印象的なエピソード
- 3.成績の変化
- 4.思い出のテキスト
- 5.入試での印象に残ったエピソード
- 6.後輩へのメッセージ
メルリックスに入学した理由
高校を卒業してから3年間、同じ予備校に通っていました。
環境に慣れてしまっていたので、4浪目は予備校を替えたいと思いました。
いつでも質問ができ、女子寮があって自習室が快適なところを探していました。
最初の予備校は親が決めてきたので、今度は自分で見て決めたいと思っていました。
自分で見学に行って、親も賛成してくれたのでメルリックス大阪校に決めました。
メルリックスでの印象的なエピソード
浪人してからの3年間は、スケジュールを無理に立てて上手くいかないことの繰り返しでした。
メルリックスではSS(スタディサポーター)が付いて、スケジュール管理をしてもらえました。
計画が遅れても、そこからまた立て直してもらえるので、自分なりに勉強を進めることができました。
先生方には「勉強がただの暗記になってしまっている。本質的な理解になっていない」と厳しく指摘されました。
なぜそうなるのかを考えながら問題を解くようにしたら、学力がついてくるのを実感できました。
成績の変化
以前の予備校ではそこで使っているテキスト以外の問題集をやってはいけないというルールがありました。
メルリックスにはそういうルールがなかったので、やっておきたい英語長文シリーズや、メルリックスのテキスト、駿台のスタンダード問題230選などをどんどんやりました。
やればやるほど問題を解くのが面白くなりました。なかなか模試の成績には反映されませんでしたが、自分では力がついたことを実感していました。
思い出のテキスト
この図説は1浪目の時に生物の先生に渡されたとき、「調べたいもののページがすぐに出せるようになったら合格が近くなる」と言われたものです。
「そのままぺージを暗記」という意味ではなく「使っていくと自然にページがわかるようになる」という意味です。
「何かわからないもの、疑問に思えば図説」、少し集中が切れたなという時にも図説をみたりしてと、本当にずっと使っていくとページがわかるようになり、すぐページがわかるようになったのは4浪目でした。
そうなるまでは少し遅かったですが、受験生の皆さんも目安として知っておくと良いかもしれません。
入試での印象に残ったエピソード
祖父が金沢に住んでいましたが、特に金沢医科大学に知り合いがいるわけではありませんでした。
でも、メルリックスにある過去に受験した人のアンケートを見て、金沢医科大学の総合型選抜が基礎的な問題ばかり出ることはわかっていました。
自分にもチャンスがあると思い、秋からは個別指導も取って徹底的に対策しました。
親とは「最後の1年」と約束していたので、もしダメだったらどうしようと不安でした。
試験の1ヶ月前ぐらいから泣きながら勉強していました。
それまでの浪人生活では、結構気楽な感じで受けて落ちていたので、自分でも変わったなと思いました。
1次試験はそれなりに手応えがありましたが、他の受験生もできたと思い、陰では不安で泣いていました。
ただこれまでに2回、金沢医科のAOを受けたことがありましたが、明らかに手応えが違いました。
1次合格した時は嬉しかったのですが、まだ2次試験があると思うと不安でした。
2次試験の面接対策はいろんな人に何度もやってもらいました。
一番最初に田尻前学院長にやってもらったのですが、田尻先生が不安そうな顔をしているのを見て、これはまずいと思って焦りました。
何度も練習したおかげで、本番ではスムーズに答えることができました。
後輩へのメッセージ
医学部受験はメンタルとの戦いだと思います。
たとえ落ちてもそこで終わりではなく、勉強を続けなければなりません。
私はメンタルが落ち込んだ時も、予備校に必ず行くようにしていました。
予備校に来るだけで「自習しよう」という気になりました。
授業のない日曜も、朝から来れば机に向かってなんとかなる、そう信じて努力を続けました。
メルリックスは講師もSS(スタディサポーター)も、スタッフの方々も皆あったかく接してくれました。
いつでも質問する人がいましたし、いつまでも質問につき合ってくれました。
本当に皆さんには感謝しています。