昭和大学医学部 合格|「推しは力」活動休止を乗り越えて第一志望に合格
目次[非表示]
- 1.メルリックスに入学した理由
- 2.メルリックスでの印象的なエピソード
- 3.成績の変化
- 4.思い出のテキスト
- 5.入試での印象に残ったエピソード
- 6.後輩へのメッセージ
メルリックスに入学した理由
高1から1浪まで地元の医学部専門塾に通っていましたが、模試の成績はそれなりによかったのに、1次試験すら1校も通りませんでした。
これだけやって受からなかったのだから、思いきって環境を変えようと思いました。
親に東京のメルリックスに行きたいと相談したところ「選抜コースなら授業料が安いので行ってもいいよ」と言われ、選抜テストを受けて合格の認定をいただきました。
女子寮に住んで、大晦日も元日も毎日メルリックスに通って勉強しました。
メルリックスでの印象的なエピソード
メルリックスの先生は「ここはできなくていいよ」とはっきり言ってくれるので、先生の言われた通りに勉強すれば受かるという安心感がありました。
それまでは「出てくる問題は全部解けなきゃいけない」と思っていて、それが焦りにつながっていました。
質問に行くとどの先生もこころよく答えてくれました。特に英語の牧先生や数学の宮内先生には本当にお世話になりました。
あとは校舎長との距離の近さ(笑)
以前の塾では2回ぐらいしか塾長と話したことがなかったのですが、校舎長にはいろいろなことを話したり相談しました。
成績の変化
生物がずっと伸び悩んでいたのですが、メルリックスの先生に出会って、集団授業だけでなく個別指導も取ることで克服できました。
メルリックスは3週間前の授業の内容を復習するチェックテストがあるので、それに合わせて全科目を仕上げていきました。
1浪までは塾のテキストの他に市販の教材もやっていましたが、メルリックスではオリジナルテキストとチェックテストだけをやっていました。
思い出のテキスト
メルリックスでは本当にオリジナルテキストだけをやっていました。
入試でも「この問題、数学のテキストにあったな」「これ先生が授業中に言ってたな」ということがたくさん出て、とても役に立ちました。
入試での印象に残ったエピソード
入試が始まる1週間前から胃が痛くて眠れなくて、初日の愛知医科大学の前日に夜、担任と電話で話しました。
それで安心して、ぐっすり眠ることができました。
それでも最初の愛知医科大学は一番緊張して、試験が始まった時はシャーペンを持つ手が震えていました。
「今年もどこも受からないかもしれない」と不安に襲われたのですが、生物の穴埋め問題を先にやることにしたら、答がどんどん浮かんできて「あ、できるできる」と心が落ち着いてきました。
昭和大学は絶対に行きたかったので、東北医科薬科大学の2次試験を欠席して、小論文と面接の2次対策に賭けました。
1次試験の手応えは未知数だったので、「このまま受かってくれないかな」と思いながら2次試験に臨みました。
小論文はSDGsというあまりよく知らないテーマだったのですが、先生に教わった型通りに書いたのでスラスラ書けました。
面接は厳しい先生にあたって、やりづらい雰囲気でしたが、なんとか乗り切りました。
後輩へのメッセージ
1浪まで1校も1次合格したことがありませんでしたが、2浪目は8校1次合格、6校最終合格(1校は2次辞退)。
1浪までの自分を「医学部に受かるために何が足りなかったか」と考えた時に、頼る人を間違えたかなと思います。
受験に限らず、何か大きな目標を達成する時は、誰かに頼る必要があると思います。その時に誰を頼るかは運の要素もからんでくると思うのですが、そこでいい人かどうかは関係ないんだなと思いました。
苦手なのはわかっているけど何とかしたい、でも何に手をつけたらいいかわからないという人は、メルリックスのテキストと先生を信じてほしいと思います。
ここでこのテキストをやって受かっている人がいるということを信じてがんばってほしいです。
本当にどの先生方も丁寧に教えてくれるので頼れると思います。