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東京慈恵会医科大学医学部 合格|「何事も中途半端にやらない」受験勉強も、サッカーも

​​​​​​​受験情報・対策


目次[非表示]

  1. 1.メルリックスに入学した理由
  2. 2.メルリックスでの印象的なエピソード
  3. 3.成績の変化
  4. 4.思い出のテキスト
  5. 5.入試での印象に残ったエピソード
  6. 6.後輩へのメッセージ

メルリックスに入学した理由

僕が通っていた高校は授業の進度が遅く、先取り学習をしたいと思って名古屋のメルリックスに入学しました。
高3の最初で化学はまだ有機が終わっておらず、物理は原子と熱力学が手つかずでした。
秋までに一通りの範囲を終わらせるために、メルリックスで個別指導を取り始めました。

自分はどちらかと言うと自習メインで、わからないところだけ聞けばいいという勉強スタイルでした。
なので、メルリックスの個別指導で先生にわからないところを質問できるスタイルは合っていました。
あと、ずっと同じ場所で勉強していると飽きてしまうので、通っていた駿台とメルリックスの自習室を上手く使い分けていました。


メルリックスでの印象的なエピソード

僕は東京に行きたいと思っていたので、私立は東京の医学部を何校か受けると決めていました。
国公立は一応、地方を受けようという話になりました。
自分ではあまり詳しく調べていなかったのですが、進路相談で6校ぐらいの名前を出したら、次の日に下田校舎長が全部資料をそろえてくれていました。

最初は理科重視の広島大学に出願しようと思っていたのですが、コロナで変更になっていると下田校舎長が調べてくれて、別の大学に出願しました。
結局、東京医科大学に正規合格できたので、国公立は受けずに終わりました。


成績の変化

東京慈恵会医科大学は5割台を取れば合格できると思い、物理の問題が好きだったので物理で得点を稼ごうという作戦でした。
数学は本当に苦手だったのですが、英語と化学は平均より上ぐらいは取れるかなと思い、数学は2割でいいと割り切っていました。

物理は個別指導の他に、4~5人の集団授業で国公立型の思考力を必要とする問題を扱ってもらい、それがすごく役に立ちました。


思い出のテキスト


コロナで高校が自粛期間中にかなり自分で勉強することができました。
化学の重要問題集は何周もやりました。
すべての問題を何周もやるわけではなく、簡単な問題は飛ばしてわからない問題だけを何度も解き直しました。
何度やってもミスをするので、どれだけミスをなくせるかが勝負だと思ってやっていました。

数学も物理もそうですが、立式の段階で意識していてもどうしてもミスが出てしまうので、体で覚えるぐらい何度も解くように心がけました。
高校の物理はパズルみたいで楽しかったですが、数学は最後まで楽しくなかったです(笑)


入試での印象に残ったエピソード

私立医学部は順天堂大学、日本医科大学、東京医科大学、東京慈恵会医科大学に出願しました。
最初に結果が出たのは日医で、渋谷のメルリックスの自習室にいた時に、親から電話がかかってきました。
日医は数学ができなかったのですが、英語・物理・化学ができたので、1次は通るかなと思っていたので落ち込みました。

それから順天堂の1次発表があるまでの1週間は辛かったです。
順天堂は1次合格しましたが、1次試験で小論文があったので「小論文やっとけばよかったな」と思いました。

2月上旬からはずっと東京にいたので、東医と慈恵は渋谷本校で小論文の個別指導を受けました。
東医は正規合格、慈恵も早い補欠番号で繰り上げが回ってきました。


後輩へのメッセージ

高校の時、サッカー好きの友人たちと集まって、昼休みや授業後にサッカーをしていました。
受験生になったらさすがにやめるだろうと思っていたら、高3になっていっそう熱が入り、週に2~3回はやっていました。
先生方からも「こいつら落ちるだろうな」と思われていたと思います。

ところが実際に受験になると、たまにしかサッカーに来なかった友人たちが落ちて、1日も欠かさなかった僕たちの方が受かっていました。
その時に思ったことは「何事も中途半端にやらない」ということです。

僕は受験生の時「塾では絶対に寝ない」と決めていました。
どうしても眠い時は顔を洗ったり、首元を冷やしたりして、仮眠も取らないようにしていました。
サッカーを6時までやった後も予備校に行って、しっかり10時まで自習していました。

信念があれば何事も続けることができます。
サッカーも、受験勉強もそれは同じかもしれません。


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