東京慈恵会医科大学医学部 合格|合格のためにやりぬくと決めた3つのこと
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メルリックスに入学した理由
私は現役の時、関西医科大学の特色入試を受けるつもりでした。
イギリスとフィリピンに1年間留学したことがあり、英語には自信があったからです。
ところが、高校で赤点を取ったために推薦書を出してもらえないことになりました。
母には「神様からのお告げだと思って、もっと勉強しなさい」と言われました。
それまでは大手予備校に通っていましたが、質問をする時はあらかじめ準備する必要がありました。
メルリックスでは授業を受けている先生にいくらでも質問できました。
それが自分に合っていると思い、浪人するならメルリックスにしようと決めました。
メルリックスでの印象的なエピソード
現役の時は関西医科大学、国際医療福祉大学、東邦大学、順天堂大学、昭和大学、そして地元の岐阜大学を受けました。
残念ながら、1次試験も通りませんでした。
そんな時、メルリックスの佐藤代表に「金沢医科大学の後期を受けてみたら」と勧められました。
「学費が高いので行けません」と断ったのですが、「自信をつけるために受けてみたら」と言われました。
受験したら思いがけず正規合格をいただくことができました。
残念ながら進学することはできませんでしたが、浪人している1年間、金医後期の合格をいただいたことが心の支えになりました。
やはり、その道の人の言うことは聞くべきだな、と感じた出来事でもありました。
成績の変化
英語:得意科目でしたが、現役時代はまだまだ粗削りでした。文法の授業はとても為になりました。
数学:苦手なので足を引っ張らない程度に、ということを心がけて勉強しました。
化学:先生の授業がとても良かったです。効率の良い解き方、間違えにくい解き方を教えていただきました。
物理:ずっとこれでいいのかなあと感じながら勉強していました。先生の言ったことだけをやっていたのが実を結んだと思います。
入試での印象に残ったエピソード
現役の時に1次合格したのは金沢医科大学だけだったのに、1浪の時は受験した8校すべてに1次合格することができました。
大阪医科薬科大学は2次試験に行きませんでしたが、1次試験の時の手応えは決して悪くなかったと思います。
特待合格だった関西医科大学はできなかったという自覚があったので、私立医学部受験は本当にわからないと感じました。
慈恵の1次試験が終わった時は「行ったかな」という手応えがありました。
2次試験のMMIも上手く行ったという感じではなかったけれど、そつなくこなせたと思いました。
もともと人と話すことが好きなので、2次試験の面接やグループ討論は楽しい経験でした。
後輩へのメッセージ
1つ目は先生を信じることです。
浪人する時に、私は「今年教わる先生をとりあえず信じてやってみよう」と決めました。
なので、浪人時代はメルリックスの先生に言われた勉強しかやっていません。
目の前のことをいつも必死にこなしていました。
もう1つは自分のミスを書き出すノートを作ることです。
浪人が決まった3月から受験の直前まで、私はずっとノートに自分のミスを書いていました。
物理の先生に勧められたのがきっかけだったのですが、英語・数学・化学・物理のすべての科目でノートを作っていました。
入試直前はそのノートだけを見ていました。
これまで自分がやってきたことを信じて、ノートを見直して頭にたたき込んでいました。
最後は親に感謝することです。
私は自分の合格は半分ぐらい母親のおかげだと思っています。
勉強以外のことを心配せずに打ち込める環境を作ってくれました。
それは当たり前のことではないと今になって思います。
受験生という特殊な環境を思う存分利用して、勉強してください。