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合格体験記一覧

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東北医科薬科大学医学部 合格|会社員からの再受験。10年越しの努力が実り、亡き祖父に捧げる合格


受験情報・対策


内藤了輔さんが医学部受験を志したのは28歳の時であった。メーカーの会社員で海外との取り引きも多く、若手のリーダー的存在として活躍していた内藤さんだが、上司が外出先で倒れた時に救急車で病院に付き添ったことが、彼の運命を変えた。最前線で働く救命救急の医師を間近で見て、内藤さんの中に初めて医師になりたいという思いが生まれた。医師の書いた本を色々と読む中で、名田庄という一つの村に長年寄り添い続けた中村伸一医師の本と出会い「自分も地域医療という場で人の役に立てるかもしれない」と思った内藤さんは会社を辞めて、医学部受験に人生を賭けることにした。



環境情報学部を卒業した内藤さんは、最初は予備校の授業を聞いても全くわからず、薄い参考書を自分でコツコツやる地道な勉強法で着実に力をつけた。sin,cosから始めたにも関わらず、2年で偏差値60まで学力を伸ばすことができた。だが、そこから伸び悩んだことで、一旦、医学部受験の世界から離れることにした。受験勉強をやめた内藤さんは、塾講師として中高生に勉強を教えることにした。ひたむきに努力する彼らの姿を見て「自分は果たして本気で勉強していただろうか?」と自問自答するようになった。志望校に合格していく教え子たちを見て、内藤さんの中に「もう一度、チャレンジしてみよう」という思いが生まれた。


また、内藤さんにとっては亡くなった祖父の存在も大きかった。内藤さんが医師を目指すと決意した時に、母親から「実は了輔のお祖父ちゃんも若い頃は医師を目指していたのよ」と初めて聞かされた。自分の会社を一代で大きくした祖父の意外な一面だった。運命が再び内藤さんの背中を押した。医学部に合格したい。再び勉強を始めた時、その思いしか内藤さんの中にはなかった。



受験勉強を再開した内藤さんは、順調に成績を伸ばしていき、複数の医学部から1次合格の通知が来るようになった。ところが、再受験生である内藤さんは、どうしても2次試験の面接で手応えを感じることができなかった。自分なりに答えてもどうも面接官の反応が悪く、質問と答えが噛み合わない。予備校で勉強仲間にも恵まれ、医学部合格まであと一歩のところまで来ながら、最後の壁に阻まれていた内藤さんが最後に叩いたのはメルリックスの門であった。



正直なところ、内藤さんが予備校に求めるものは厳しいカリキュラムよりも、自由に勉強できる環境と勉強仲間、そして的確な面接対策だった。数学の先生や生物の先生には、自分のレベルに合ったプリントをもらい、それをこまめにチェックしてもらうことで穴を埋めていった。英語の先生には苦手意識のあった英語長文の読み方を緻密に教えてもらった。同じ選抜クラスの仲間たちとは、いつしか毎週金曜に一緒に夕飯を食べに行くことが習慣になった。勉強が辛くても週末には食事会があるからそれまでは頑張ろう、と自分を奮い立たせることができた。仲間の一人が鈴村学院長にリクエストしてパンケーキを食べに連れて行ってもらったことから、いつしか内藤さんとその仲間たちは「パンケーキの会」と呼ばれるようになった。



受験が始まってからは、なかなか結果が出ず苦しい日々が続いたが自分を信じて受け続けた結果、2校の1次合格を手にすることができた。いよいよ苦手の面接に臨んだが、前年6月に東海大学編入の2次試験で面接を経験していたこともあり、これまでとは違う気持ちで臨むことができた。東北医科薬科大学医学部で正規合格を勝ち取ったのは38歳の時、医学部受験を志したあの日から10年の月日が流れていた。